小学五年生の初夏。都会の学校での陽葵(ひまり)は、一言で言えば「男子混じりの野生児」だった。
ボーイッシュでアクティブなショートカット。
男子のくだらない冗談にも「ばーか、何言ってんの」と小気味よく返し、ドッジボールでは男子顔負けの剛速球を投げ込んでくる。晴斗にとっての彼女は、同じクラスの賑やかな一風景であり、たまにノートの貸し借りをする程度の「ただのクラスメイト」――平行線の向こう側の存在のはずだった。
そんな二人のレールがバグり散らかすことになったのは、夏休みが始まってすぐのこと。
「……マジで言ってんの?」
晴斗は、自分のスマートフォンの画面を見て絶望していた。
画面の左上、いつもなら頼もしく表示されているはずのキャリアロゴの横には、冷酷な【圏外】の二文字。何度機内モードをオン・オフしても、虚しくアンテナの棒は一本も立たない。
親の「デジタルデトックスよ!」という狂気じみた思いつきによって、晴斗が連行されたのは、地図の端っこにある山奥の超ド田舎の実家だった。
周囲にあるのは、どこまでも続く濃い緑の山々と、うるさいほどのセミの声。
Wi-Fiなんてハイテクなものは存在せず、携帯の電波すら基地局の死角に入って完全に死滅している【オフラインの檻】。
ネット動画も見られず、友達とのメッセージ交換もできない。
現代の小学五年生にとって、それは死刑宣告に等しかった。
ただの高級な「カメラ付きの鉄の板」と化したスマホをポケットに放り込み、晴斗は暇と退屈を潰すために、トボトボと実家の庭へ出た。
大人の腰ほどの高さしかない、白い花の咲く生垣。
それが、隣の敷地との境界線だ。
退屈のあまり、生垣の葉っぱをむしろうと手を伸ばした、その時だった。
「――おっしゃあ! 捕まえたッ!!」
ガサガサガサッ!!! と激しい音を立てて、生垣の向こう側の草むらから、何かが勢いよく飛び出してきた。
晴斗は思わず飛び退く。
そこにいたのは、鮮やかな【黄色いマウンテンパーカー】のフードを被り、虫捕り網を天高く掲げた一人の女子だった。
網の中でバタバタと暴れる大きなアブラゼミを見て、彼女は「にひひ」と、白い歯を覗かせてガキ大将のように笑っている。
その顔を見て、晴斗の思考プロセッサが一瞬フリーズした。
「……あれ? 陽葵……?」
「んあ?」
黄色いフードの隙間から覗く、吸い込まれそうなほど澄んだアクアの瞳が、晴斗を捉える。
陽葵は目を丸くし、それから網を持ったまま生垣にズカズカと近づいてくると、身を乗り出すようにして晴斗の顔を覗き込んできた。
「嘘、晴斗じゃん!? なんでこんなトコにいんの!?」
「いや、こっちのセリフなんだけど……。ここ、俺の親の田舎の実家」
「あはは! マジか! ウチもじいちゃんの家、ここなんだよね。じゃあウチら、夏休みの間お隣さんってこと?」
都会の教室内では、いつもどこか一線を引いたクールさがあった陽葵。
だが、今の彼女は完全に【野生のテクスチャ】が全開になっていた。ショートパンツから伸びる健康的な脚には小さな擦り傷があり、頬には少し泥がついている。
何より、都会のノイズから切り離されたこの大自然の中で見る、陽葵のひまわりみたいな「黄色」の鮮やかさと、その弾けるような笑顔が、ド直球で晴斗の網膜に焼き付いた。
「ネットもゲームも繋がんなくて死にそうだったんだよ」と晴斗がぼやくと、陽葵は生垣からさらに身を乗り出し、晴斗の手首をガシッと掴んだ。小学生特有の、ほんのり熱くて柔らかい手のひらの感触が、ダイレクトに伝わってくる。
「電波なんかなくたってさ、やることいっぱいあるじゃん! ほら、晴斗も来なよ!」
グイッと引っ張られる。
大人の腰ほどの生垣なんて、アクティブな二人の前では何の障壁にもならなかった。
晴斗の「青空」のような日常に、陽葵の「向日葵」の黄色が、遠慮なく闖入してくる。
スマホが完全に沈黙した山奥で、二人の「一生モノの夏休み」が、今ガタゴトと音を立てて動き出した。