第1話:夕暮れのスーパーと、崩壊するお嬢様の盾

四月の張り詰めた空気の残る、五年生の一学期。
「おい、次の時間、転校生が来るらしいぞ」という男子の騒がしい声を、柊蒼太は半分眠りながら聞き流していた。どうせ、普通の転校生だ。そう思っていた。

ガラガラ、と前方の戸が開く。
担任の後に続いて教室に入ってきた『それ』を目にした瞬間、五年B組の喧騒は、まるで音量をゼロに絞られたかのようにピタリと消失した。

――異星人が、教壇の前に立っていた。

「皆さん、今日から新しくクラスメイトになる、白鷺 怜奈(しらさぎ れいな)さんよ」

担任の声すら、誰の耳にも届いていなかった。クラスの全員が、ただ惚けたように彼女の姿に釘付けになっていた。

まず目を引くのは、日本の小学校の教室では明らかに異質な、その髪だった。
北欧の血を引くクォーターだという彼女の髪は、完全な金髪ではなく、窓からの春の光を透過して、一本一本が白金(プラチナ)の細い糸のように発光している。その繊細な髪を、細い黒リボンでハーフアップに品良く結んでいた。
陶器のように滑らかで、わずかに透明感を帯びた白い肌。その中央に位置する瞳は、ガラス細工のように綺麗な、吸い込まれそうな薄い青(アクア)の色。およそ現実の十一歳とは思えないほど整ったその容姿を隠すように、彼女は度の入っていない伊達メガネをかけていた。

さらに異様だったのは、その着こなしだ。
周りの女子たちが名札を傾けたり、ソックスを弛ませたりしている中で、彼女の制服は、まるで今さっき仕立てられたかのように完璧だった。第一ボタンまでキッチリと留められた、糊のきいた真っ白なブラウス。一ミリの狂いもなく左右対称に整えられた襟元。
それは「規律」という名の、他者を一切寄せ付けない完璧な防壁だった。

彼女は細い人差し指で、伊達メガネのブリッジをクイと静かに上げると、凛とした、けれど冷徹な微笑みの仮面を纏って口を開いた。

「白鷺 怜奈と申します。至らない点もあるかと思いますが、お見知り置きを。……よろしくお願いいたしますわ」

完璧なお淑やかさ。そして、小学生のコミュニティには存在しないはずの「~ですわ」というお嬢様言葉。
男子たちは完全に魂を抜かれ、女子たちは圧倒的な格の違いに息を呑んだ。

「じゃあ、白鷺さんの席は……あそこの一番後ろの空いている席ね」

担任が指差したのは、窓際の一番後ろ。――つまり、蒼太のすぐ隣の席だった。

「はい」

怜奈が静かに歩き出す。
彼女が蒼太の席の真横を通過した、まさにその瞬間だった。

ふわり、と春の生ぬるい風が教室を抜けた。
それと同時に、彼女の白金の髪が光を浴びて一瞬だけ眩しくきらめき、蒼太の鼻腔を、淡いシトラスの香りがかすめていった。都会の洗練された、けれどどこか瑞々しい、果実のような匂い。
ドクン、と蒼太の胸の奥が、生まれて初めての奇妙な高鳴りをあげる。

だが、怜奈は蒼太に一瞥もくれることなく、衣擦れの音だけを残して隣の席に腰を下ろし、再び完璧な姿勢で前を向いた。

それが、二人の「距離感のある日常」の始まりだった。

クラスメイトになって三ヶ月。
男子たちがどれだけスマートを装って声をかけようが、怜奈はいつも「義務を果たしているだけですから」と冷たい笑顔の盾で相手を追い返した。誰も彼女の聖域(パーソナルスペース)に踏み込むことはできない。

蒼太との間で交わされた会話も、
「柊くん、これ後ろへ回して」
「あ、うん。ありがと」
という、プリントを配る時のわずか三秒、たった一度きり。
学校一の美少女と、その他大勢の一般生徒。二人の関係は、同じ教室という箱の中に用意された、交わることのない二本の平行線のはずだった。

あの日の夕方。
学校帰りの母親から「蒼太! 近所のスーパーで、とんでもない奇跡が起きたのよ!」と、世界をひっくり返すような連絡が入るまでは――。

新学期の冷淡な出会いから三ヶ月。梅雨が明け、本格的な夏の熱気に包まれ始めた七月の夕方だった。「蒼太、ちょっと醤油切らしちゃったからスーパー付いてきて」。ぶつぶつ文句を言いながら、蒼太は母親の後ろを歩いて近所のローカルスーパーへと向かう。店内に入ると、惣菜コーナーの油の匂いや主婦たちの活気が押し寄せてきた。買い物カゴを下げた蒼太が、その時、通路の向こうから歩いてくる二人組を目にした。

(……あ)。白金の髪をハーフアップにし、伊達メガネをかけたその少女は、間違いなく同じクラスの、あの誰も近づけない学級委員長――白鷺 怜奈だった。学校での「私はあなたなんて認識していませんわ」という冷淡な盾。パーソナルスペースの維持。怜奈も気づいたのか、人差し指でメガネをクイと上げ、ツンと視線をそらした。蒼太も気まずくなって目をそらす。

しかし、遅かった。キャベツから顔を上げた蒼太の母親と、怜奈の母親の視線が、正面からガチリと交錯した。次の瞬間、二人の母親の顔が、信じられないほどの驚きと歓喜に染まる。「……え? うそ、もしかして……りっちゃん!?」「ええっ!? ……ハルちゃん!?」。スーパーに凄まじい黄色い歓声が響き渡る。一瞬で少女時代に戻っていく母親たちの前で、蒼太と怜奈はマヌケに立ち尽くすしかなかった。

「紹介するね、息子の蒼太!」「あら! うちの怜奈も同じ五年生よ! ほら、怜奈も挨拶しなさい」。怜奈の母親が娘の肩を押し出す。「……っ、あ、あの……白鷺、怜奈、と申しますわ……」。サマーニットの袖口を握りしめ、顔を赤く染めている怜奈。学校でのあのクールな佇まいはどこへやら、身内の前ではお嬢様の盾が少し揺らいでいる。そして、二人の母親は驚くべき事実を知る。二人が同じ小学校、同じB組のクラスメイトだということを。

「じゃあ決まりね! お盆に帰省する時、あそこの実家は生垣一本で隣同士じゃない? 一緒に過ごさせましょうよ!」「ええ、それ最高だわ!」。母親たちのウキウキした「悪魔の契約」が、瞬く間に成立していく。慌てて怜奈を見ると、彼女は耳の付け根まで真っ赤にしていた。「……お、お母様、もう行きましょう、ですわ……っ!」。彼女は逃げるように去っていった。

残された蒼太の頭をよぎるのは、スマホの電波すら届かない山奥の田舎の風景。交わるはずのなかった二本の平行線が、親の暴走によって、強引に一本のレールへと折り曲げられた瞬間だった。(終わった……俺の夏休み、一体どうなっちゃうんだよ……)。迫り来る盛夏の気配を感じながら、蒼太は深い絶望の溜息を漏らすのだった。