第6話:嵐の夜、秘密基地での約束とタイムカプセル

楽しい時間は、いつだって一瞬で通り過ぎていく。
8月の終わり。あと数日で、あのアンテナ圏外のパラダイスともお別れという日の夜、田舎の空は一変した。

ゴロゴロと不気味な地鳴りのような音が響いたかと思うと、次の瞬間にはバケツをひっくり返したようなゲリラ豪雨が、古い実家のトタン屋根を激しく叩きつけ始めた。
自室のベッドで、晴斗は落ち着かない気持ちでスマホを見つめていた。もちろん【圏外】だ。外の状況を調べることも、隣の家にいるはずの陽葵に連絡を取ることもできない。

(……あいつ,大丈夫かな)

その時、晴斗の脳裏を最悪の予感がよぎった。あの、二人で泥だらけになって作った、裏山の秘密基地だ。この豪雨じゃ、せっかく組んだ丸太やブルーシートが吹き飛んで、跡形もなくなってしまうかもしれない。
「――あいつなら,絶対行く」

確信があった。陽葵のあの野生児じみた性格だ。基地が心配で、今頃一人で裏山に向かっているに違いない。晴斗は衝動的に部屋を飛び出し、玄関にあった置き傘をひっ掴んで、激しい雨のカーテンの中へと突っ込んだ。

真っ暗な裏山は、不気味に木々がざわめき、まるで見知らぬ怪物の世界のようだった。
ぬかるむ泥に足をとられながら、ようやくたどり着いたクヌギの木の根元。
「……ひまわり!?」

晴斗が息を切らせて叫ぶと、激しく打ちつける雨の音の向こうから、小さく「――晴斗!?」と声が返ってきた。秘密基地の、雨漏りするブルーシートの隙間。そこに、びしょ濡れになった黄色いマウンテンパーカーを羽織り、小さな身体を縮めてガタガタと震えている陽葵がいた。

「バカっ! 何でこんな嵐の中にいんだよ!」
「だって……だってさ! ここ,ウチらが一生懸命作ったんだよ!? 壊れちゃうと思ったら,じっとしてられなくて……!」

陽葵のアクアの瞳から、雨水に混ざって大粒の涙がこぼれ落ちる。晴斗は傘を放り出すと、狭い秘密基地の中へと滑り込み、陽葵の細い肩を抱き寄せた。
「わっ……」

基地の中にあった、じいさんから譲り受けた古くて分厚い毛布。晴斗はそれを二人で被るようにして、陽葵を自分の胸の中にぎゅっと閉じ込んだ。
外では雷鳴が轟き、稲光が狭い基地の中を白く照らす。電波は完全にゼロ。世界で今、動いているのはこの嵐と、毛布にくるまった二人だけだった。

「……冷たっ。お前,凍えてんじゃん」
「晴斗だって,びしょ濡れだし……」

毛布の中で、二人の身体が隙間なく密着する。びしょ濡れの服を通して、陽葵の柔らかい肌の感触と、激しくトクトクと脈打つ心臓の鼓動が、晴斗の胸にダイレクトに伝わってきた。冷え切った身体のはずなのに、お互いの体温が触れ合う部分は、驚くほど熱い。

「ねえ,晴斗」
陽葵が、晴斗の青いTシャツの胸元を、小さな手でギュッと握りしめた。
「明日,東京に帰るんだよね。……私,帰りたくないな。ずっとここにいたい。スマホなんか繋がらなくていいから,ずっと晴斗とバカやってたいよ……」
「ひまわり……」
「学校に戻ったら,また普通のクラスメイトになっちゃうの? こんなに近くにいられなくなっちゃうの?」

涙で濡れた瞳で、陽葵が至近距離から晴斗を見つめてくる。その切なすぎる表情に、晴斗の胸の奥が、張り裂けそうなくらいに切なく軋んだ。
「……ならねえよ」
晴斗は、自分の震える声に力を込めた。
「絶対に普通のクラスメイトなんかで終わらせない。学校に戻っても,10年経っても,俺はお前を見つける」

晴斗は、自分のポケットから、じいさんの物置で見つけておいた小さな金属製の筒を取り出した。お茶の葉を湿気から守るための、古びた真鍮製の茶筒だ。フタが二重構造になっていて、驚くほどがっちりと閉まるそれを、晴斗はタイムカプセルにするつもりで持ってきていた。それから、ノートの切れ端を陽葵に手渡す。
「手紙,書こう。大人になるまで,絶対に開けちゃいけないやつ。ここに,俺たちの『答え』をしまっておくんだ」

陽葵は一瞬呆然とした後、嬉そうに涙を拭って「……うん!」と頷いた。

二人は、冷える手で、小さなノートの切れ端にそれぞれの「本音」を書き殴った。お互いに中身が見えないように、きつく、きつく折りたたんで、茶筒の中へ放り込む。
内側のフタを押し込み、さらに外側のフタを限界まで閉めると、晴斗は基地の補強に使っていたビニールテープを引きちぎった。そして、フタの隙間を塞ぐように、これでもかと何重にもぐるぐる巻きにする。雨水も,土の湿気も,絶対に中へ入れさせないための,11歳の必死の防水対策だった。

嵐が少しだけ弱まった隙を見計らい、二人は秘密基地の床下、クヌギの硬い根っこの隙間に、その茶筒を深く深く埋めた。
「大人になるまで,見るなよ!」
「晴斗こそ,内緒で掘り返したら怒るからね!」

泥だらけになった二人の手が、もう一度、嵐の闇の中で固く結ばれる。どんなに通信規格が進歩しても,絶対にハッキングできない二人の『ログ』が,ビニールテープと頑丈な真鍮に守られながら,アンテナ圏外の土の底へと,永久保存された瞬間だった。