第7話:二学期のフェードアウト、そして15年の空白

9月1日。二学期の始業式。
都会の小学校の教室は、エアコンの冷気と、夏休みの宿題を提出する騒がしい声で満ちていた。

誰もがスマートフォンを片手に、夏休み中にネットで流行った動画や、SNSのタイムラインの話に花を咲かせている。バリ5の電波が飛び交う、いつもの【オンラインの日常】。
ガサガサとしたノイズのような喧騒の真ん中で、晴斗は自分の席に座り、窓の外を眺めていた。ふと、教室のドアが開く。

「おはよー」

現れたのは、いつもの女子グループに囲まれた陽葵だった。耳たぶの見えるアクティブなショートカットはそのままだったが、あの鮮やかな黄色いマウンテンパーカーではなく、指定の紺色の制服を着ている。その姿は、どこか遠い世界の住人のようにクールに見えた。
都会のルール、周囲の目、小学生特有の「空気の読み合い」。それらが一瞬にして、二人の間に透明な壁を築き上げていく。
(……やっぱり,学校だとこうなるよな)

晴斗が小さく息を吐いた,その時だった。
女子たちの輪の中から,陽葵がふと,晴斗の方へ視線を向けた。
都会の喧騒の中で,二人の視線が真っ直ぐに交錯する。

陽葵は周りの女子にバレないように,一瞬だけ,あのクヌギの木の下で見せたような,いたずらっぽい「ひまわり」の笑顔を咲かせた。そして,自分の小指をほんの少しだけ立ててみせる。
『約束だからね,晴斗』

あの嵐の夜の,体温の記憶が脳裏にフラッシュバックする。電波にまみれた教室の中で,二人の間だけに,あの「アンテナ圏外の夏のログ」がパチパチと火花を散らしていた。

――しかし,子供の環境とは,残酷なほど簡単に変化するものだ。
その年の秋,陽葵のじいさんが亡くなり,彼女の一家は別の街へと引っ越すことになった。
バタバタとした別れの中で,スマートフォンを持っていたはずの二人は,なぜかお互いの連絡先を交換しなかった。いや,交換しなくていいと,どこかで思っていたのかもしれない。あの土の底に,世界で一番確かなログを埋めてあるのだから。

それから――月日は,恐ろしいほどのスピードでフェードアウトしていった。
中学生になり,高校生になり,大学生になり。スマートフォンは4Gから5Gへ,そしてさらに高速な通信規格へと進化し,世界は1秒の遅延すら許さない「超オンライン社会」へと変貌を遂げていく。誰もが常に画面を見つめ,大量の情報に溺れ,誰かと繋がり続けなければ不安になる時代。

いつしか晴斗の頭からも,あの泥だらけの夏休みの記憶は,忙しい日常の底へと埋もれていった。
気づけば,15年の歳月が流れていた。
晴斗は26歳になり,都会のせわしないIT企業で働く,冴えないシステムエンジニアになっていた。毎日,鳴り止まないビジネスチャットの通知,SNSのタイムライン,処理しても終わらないタスクの山。

「……疲れたな」

ある5月の下旬。液晶画面のブルーライトに擦り切れた晴斗は,突発的に有給休暇をとった。スマホの電源を切りたい。すべての通知を無視したい。
その一心で,彼は15年間一度も訪れていなかった,あの「山奥の田舎」行きの切符を握りしめ,ローカル線へと飛び乗った。

ガタゴトと揺れる,古い2両編成の電車。
窓の外には,都会のビル群が消え,懐かしい濃い緑の山々が広がり始めていた。
液晶画面を見つめる乗客は,もう誰もいない。
ふと,手元のスマートフォンの画面を見る。
キャリアロゴの横で,アンテナの棒が一本,また一本と減っていき――やがて,冷酷で,どこか愛おしい【圏外】の二文字へと書き換わった。

15年ぶりの,オフラインサマーへのリスタート。
その静寂の真ん中で,晴斗の運命の歯車が,もう一度猛烈な勢いで回転を始める。